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商社マンを辞めてカリスマDIYerに弟子入り…跡を継いで会社を次のステップへ【連載:事業承継者に聞く】株式会社ビームスファクトリー

事業を承継された側の方にお話を伺う【事業承継者に聞く】シリーズ。今回はお話を伺ったのは、建築空間創作集団colours(カラーズ)を運営する株式会社ビームスファクトリーの奥野雅也社長。coloursは土地探しから、建築空間のデザイン、設計、施工までを自分たちで行う多能工集団です。

商社マンだった奥野さんが、カリスマDIYerとして知られていた横浜一雄氏と出会い、事業を引き継がれた経緯と想いについて語っていただきました。

奥野 雅也 氏

株式会社ビームスファクトリ―代表取締役社長兼coloursメンバー。愛知県名古屋市出身。大学卒業後、 1年間建築現場でアルバイトをして貯めたお金で、ワーキングホリデービザを取得しカナダへ渡る。 その後、バックパッカーとして北米1周旅行を経て、1年半後に帰国、26歳の時に商社に入社。9年務めたのち退社し、ビームスファクトリーの前身でもあるWOODY HAMARに入社。2017年より現職。

思いがけず憧れのものづくりの仕事に誘われて、商社マンから転身

――奥野さんは37歳の時にそれまで勤めていた商社を辞めて、個性的なガレージや住居デザインなどを手がけるWODDY HAMARの横浜一雄さんに弟子入りされたとのことですが、横浜さんとはどのようなきっかけで出会われたのですか?

自宅を建ててもらおうと思ったんですよね。それで、面白い家を建てることで知られていた横浜に相談しに来たんです。会って話している間に「僕も建築が好きで、ものづくりの仕事に憧れているんですよね」と言ったら、うちでやってみないかと誘ってもらって、商社を辞めてWODDY HAMARに入りました。

――その時点で、すでに「先々は跡を継いで社長に」という話は出ていたのですか?

横浜のWODDY HAMAR は法人ではなく、個人事業主で7~8人の従業員を抱えているという形だったんですよ。ですから、社長というわけではなく、リーダーというかまとめ役ですが、それを継がないかという話は出ていました。

僕が弟子入りする前から横浜は近いうちに引退したいと言っていて、従業員全員に「誰か継がないか?」と声をかけていたけれど誰も手を挙げなかったそうです。それで、メンバー以外から承継してくれる人を探していたんです。

WODDY HAMAR 横浜一雄氏(写真提供:株式会社ビームスファクトリー)

――商社マンから大工へというのは思い切った転身に思えます。

その時点で商社を辞めようと思っていたわけではありませんが、漠然といつかはサラリーマンを辞めて自分で事業をやってみたいと思ってはいました。元々、僕はものづくりの仕事、クリエイティブな仕事をやりたいと思っていたんです。商社の仕事もうまくいっていましたけど、何かを創り出しているという実感が得られるものではないので、自分が情熱を傾けられる仕事ではなかったんですよね。

とは言え、当時37歳でずっと商社の営業畑にいたので、これからものづくりの仕事をするというのは現実味のある話だとは思っていませんでした。そこに思いがけない誘いがあったとか色々なことが重なっています。

実はいきなり商社を辞めたわけではなく、土日祝日だけアルバイトに来いよと言われ、1年間アルバイトをやりました。横浜も僕がほんとうにやっていけるのか見極める必要があったし、僕もWODDY HAMARでやっていることが僕の建築やものづくりのイメージに合っているのか確認する必要がありましたから、お互いに見極める期間ということですね。

1年経った時に、横浜から「そろそろ決断してくれないか。承継する気がないなら他の人を探さないとならないから」と言われ、「じゃあ、継ぐのを前提に入ります」ということで、商社を辞めて正式にWODDY HAMARに入りました。

――ご家族をはじめ周囲の方の反応はどうでしたか?

妻の両親には猛反対されました。「エリート商社マンに嫁がせたはずなのに、今から大工になるだと?ふざけるな!」という感じで(笑)。WODDY HAMARのメンバーにも「商社辞めて大工になるなんて、もったいない。止めとけ、止めとけ」と口々に言われましたね。

妻自身は賛成してくれました。その頃、2ヶ月くらい家に帰れていなかったんですよね。ずっと海外出張が続いていて。海外赴任の話も出ていて、そこが終わったら次はどこに行かされるかわからない。妻は「商社は嫌」と思っていたようで、事業を承継した直後は大変でも、成長していけば時間に余裕ができるならと賛成してくれました。

一旦独立して一人で会社をやり始めたら楽しくて「このままでいたい」と願った

――正式にWODDY HAMARのメンバーになった時に、「将来の跡継ぎ」という扱いだったのですか? 大工の仕事に専念してみてどうでしたか?

特別扱いはなく、普通に新人として入りました。そこは横浜がうまかったと思います。2年間くらい大工見習として、昼間はビルダー(住宅建築業)や現場監督をやって現場で学び、夜は机上で建築を勉強しました。

WODDY HAMARは設計から施工まで自分たちでやる多能工なので、大工だけに比べて勉強しなければならないことがたくさんあったんですよね。家を建てる施主さんの中には土地から探してほしいと言う方も少なくないので宅建士も取得しました。

収入は商社時代の3分の1になり、それまでに経験がないほど勉強して、大変は大変でした。でも、憧れのものづくりの仕事を学んでいるので楽しかったですね。

――その後、社内ベンチャーとして株式会社ビームスファクトリーを立ち上げて独立されたとのことですが、どういう経緯でそのような段階を踏まれたのですか?

事業を承継するのであれば、メンバーが7~8人いるから、個人事業主ではなく株式会社にした方がいいと思っていました。横浜にもそう言って相談した結果、WODDY HAMARを法人化するのではなく、僕が仕事を取ってこられるようになった段階でビームスファクトリーを設立して、横浜との従業員関係を解消しました。

横浜には3分の1を出資してもらって役員になってもらいました。なぜかというと、建設業の許可の問題です。僕はまだ実務経験が足りなくて許可が取れなかったんですよね。ビームスファクトリーで宅建業の免許も取得して「房総ネスト不動産」も立ち上げました。ビームスファクトリーが仕事を取ってきてWODDY HAMMARに発注するという形でやっていきました。

その2年間は実質的に一人で動いていてフリーランスのようなものでしたが、やってみたら楽しかったんですよね。これが一番自分に合っていると思いました。人に使われなくていい上に、自由度が高かったので。この働き方を続けたい、横浜が辞めるというのが口だけだったらいいなと思っていました(笑)。

「来年、引退していいか?」と言われ「やるしかない」と決意

――でも、その願いは叶わなかったということですね?

そうなんです。叶わなかったんですよ。約1年後に、横浜から「来年、辞めていいか?」と言われて、「やっぱり来ちゃったかぁ。仕方ない、やるしかない」と思いました。その頃にはWODDY HAMAR の仕事の8割がビームスファクトリーからのものになっていまして、「そろそろ大丈夫だろう。みんなを食わせていけるだろう」と横浜が判断したんですよね。

承継するに当たって、メンバー全員に個人事業主になってビームスファクトリーとプロジェクト単位で契約するか、ビームスファクトリーの従業員になるか聞いたら全員が従業員を選んだので、全員が社員になりました。

千葉県茂原市でビームスファクトリーが運営しているコワーキングエリア、BOSO C BASE。ビームスファクトリーの事務所もこちらにある

――奥野さんが承継すると聞いた時のメンバーの反応はどうでしたか?

それ以前から、「将来、奥野さんに社長になってほしいな」と言ってくれるメンバーもいましたし、反発などはありませんでした。ここについては、横浜の進め方がうまかったと思います。以前から「誰かやらないか」と言っていて、「誰も手を挙げなかったでしょ?」ということで納得してもらいやすかったですね。

――メンバーのみなさんは横浜さんから「誰か社長をやらないか」と言われた時、なぜ手を挙げなかったのですか?

横浜は引退したいと口で言っているだけで本当に辞める気はないと思っていたというのもありますが、元々みんな、ものを創りたい人たちで社長をやることに興味はなかったんですよね。

興味がないどころか「営業なんて絶対やりたくない」とか「お金をあれこれするのは嫌」と言っている人もいて、そういうことを全部やらなければいけない社長にはなりたくなかったんです。

――横浜さんが引退されたかった理由はなんだったのですか? それほどお年を召されていたわけでもないと思いますが。

横浜の場合は、建築が嫌いになったとか、身体が動かなくなったなどではありませんでした。建設業の大変さ、責任の重さがしんどくなったんですね。身軽になって好きなものを気楽に創りたいというのもあったと思います。メンバーを養っていかなければならないから、好きなだけ手間をかけているわけにもいかなくなっていましたし。

社長の年俸を社員が決めるフラットな組織へ

――承継されてから、それまでの横浜さんのやり方と変えられたことはありますか?

はい、あります。まず、組織をフラットにしました。それまでは横浜と仲間たちという感じだったのを、僕も含め全員を対等な関係にしています。そのために「会社は社長のものではない。社長は決して偉くない」と口を酸っぱくして言いつつ、情報共有や権限移譲なども進めました。

例えば、経営の数字はメンバーに全部見せています。売上がいくらで何にどれくらいお金を使って、会社にはどれだけのお金が残っているのか。それぞれがいくらもらっているかはお互い知りませんが、会社としての人件費やボーナスの総額は見せています。そうした上で、僕の年俸を従業員に決めてもらっています。

あくまでも、社長業という職制をたまたま自分が向いているのでやっているだけ。仮に明日入ってきた人を社長にした方がいいとみんなが思ったら、僕は代わります。たとえ、僕が「こいつは違うんじゃないか」と思う人物でもいいんです。みんながその人を頭にしてやっていきたいなら。そして、僕は僕ができることをやるだけです。

coloursというブランド名もみんなで決めました。だから、僕が決めたビームスファクトリーという会社名ではなく、coloursというブランド名を前に出していきたいと思っています。

coloursメンバー(写真提供:株式会社ビームスファクトリー)

――奥野さんが継がれた後、横浜さんはどういう形で関わっておられるのですか?

今も役員ではあります。もう建設業の免許は僕の資格で取れるので、そろそろ外してあげなきゃいけないかなぁと思ってはいます。毎日出勤はして自分一人でできる仕事はやっていますね。基本的に僕のやることに口出しはしませんが、気にかけて見守ってくれているのだと思います。

たまに細かいことは言われますよ。「あの板、あそこに置いたら危ないだろ」とかね。細かいこと言われると、正直うっとうしいと思うこともありますよ。でも、元気でいてほしい。ほんとに父親と息子のような感覚ですね。今の自分があるのは横浜のお蔭ですから、尊敬していますし、感謝しています。

――ご家族は奥野さんが家で過ごす時間が増えて喜んでいますか?

いやー、そこに関しては妻の思惑は大きく外れましたね。経営者はやっぱり忙しくて。出張でずっといないということはなくなりましたけど、毎日朝早く出て帰りも遅くて休みなんて滅多に取れないし、顔を合わせることも減ってしまいました。

でも、僕が楽しそうだからか、反対はしていません。子供も僕が毎日早く帰ってくることはもう期待していないようです(苦笑)。

一般的なお父さんのように子供を連れて公園に行くなどはできませんが、僕たちが手掛けた店のお披露目に招かれた時や、僕が講演などに呼ばれて登壇する時には、妻と子供たちも連れていくようにしています。仕事を見せることが僕なりの子育てですね。そのおかげか、5歳の上の子は今のところ「大きくなったら大工になりたい。パパと一緒に家を作りたい」と言ってくれています。

――事業を引き継がれた後で、一番つらかったことと嬉しかったことを聞かせてください。

つらいという言葉を使うほどのことは僕はないですね。でも、かかる負担が想像以上に大きいなと思ったのは事実です。

フリーランスの時と違って、従業員の家族全員の責任があるので、進行中の仕事が終わる前から次の仕事を仕込み始めなければいけない。常に走っている状態なわけです。そういうプレッシャーと止まることのできないしんどさみたいなものはありますよ、やっぱり。

嬉しいのは、自分の経営理念に対してメンバーが共感してくれているなと感じたり、心が通っていて楽しく仕事ができていたりする瞬間ですよね。うちのスタッフに「一番嬉しかった瞬間は何?」と聞くと、「お施主さんが完成品を見て嬉しそうな顔をする時」と全員が言います。そういう想いがある仲間とものを創るということを一緒に楽しんでやれているなと感じた時が一番嬉しいですね。

大きな会社より「強い会社」に育てたい

――今後、会社をどうしていこうと思っていますか?

規模を大きくして膨らませようという発想は持っていませんが、結果的に大きくなることはあるかもしれません。今年は3名増える予定なので昨年に比べて大きくなってはいます。

ありがたいことに今はご依頼をたくさんいただいて、お施主さんに1、2年待っていただくという状態になっています。家って「欲しいタイミング」があるんですよね。子供が小学校に上がるとか。それをお待たせしてしまっているのはあまり健全な状態ではありません。せめて今年ご依頼いただいたら来年にはできるくらいにはしたいので、少しずつ人を増やしています。

人数を増やしている理由はもう一つあります。今はクライアントから依頼を受けて、その人のために家を作る仕事が100%です。これを来年くらいからシフトさせて、クライアントの仕事を続けつつ、coloursが思い描く建築や場を自社物として毎年一棟ずつくらい作っていきたいんですよね。ソフトもデザインするというか。例えば空き家を買い取って、こういう形でリノベーションして誰を入れて…という、そこに場ができるというようなこと。僕らの想いで作ったものを一棟ずつ増やしていきたいと思っています。

会社を大きくするというより、強くするという感じですね。ブランディングもその一つです。最近、夢として語るようになったのは、メンバーの子供が「お前の父ちゃん、何やってんの?」と聞かれた時に「俺の父ちゃん、coloursさ」と答えて「えー!お前の父ちゃんすげーな」と言われるようになることです。それが僕の夢だし使命なんです。

撮影:Taira Tairadate


会社名:株式会社ビームスファクトリー https://www.beams-factory.com/

本社所在地:千葉県茂原市御蔵芝1761 BOSO C BASE内

従業員数:7名(フリーランス3名を加え、coloursとしては現在10名)

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著者:弥報編集部
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