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「小さな会社だが、それでも経営者だ。経営者になれ!」と言われて…【連載:事業承継者に聞く】株式会社小倉メリヤス製造所

後継者難が叫ばれ、国や自治体も力を入れている事業承継。大きな成功例や失敗例は聞こえてくるけれど、もっと身近でリアルな話を聞きたい。そんな声にお応えして、事業を承継された側の方にお話を聞くシリーズを始めます。

第1回は、先代からの弥生ユーザーで「メリヤス(ジャージ素材)の町」と呼ばれる東京都墨田区本所地区にある株式会社小倉メリヤス製造所の3代目社長、小倉大典(おぐらだいすけ)氏にお父様からの承継についてじっくり伺いました。

小倉 大典 氏

株式会社小倉メリヤス製造所代表取締役社長。 東京都墨田区出身。大学卒業後、3年間の専門学校教員経験を経て、2003年に小倉メリヤス製造所入社。同年、上海に赴任。2005年現地自社工場上海笑子服飾有限公司を設立。2006年帰国。2015年代表取締役社長就任。2016年シェアファクトリー”nuuiee(ヌーイー)”を立ち上げプロ・アマ問わず、ものづくりをする人たちを支援している。東京ニットファッション工業組合理事

継げと言われてはいなかったけれど、いつかは継ぐことになるとどこかで思っていた

株式会社小倉メリヤス製造所は昭和4年に祖父の小倉信作氏が創業。栃木と上海に自社工場を持ち、OEMを主体にベビー服・子供服を生産している

―― 小倉社長は3代目になられますが、子供の時から跡を継ぐと決めていたのですか?

「絶対に継げ」という風には言われていませんでした。実際、大学を卒業した時、親父には「好きなことをやれ」と言われて家業とは全く関係のない専門学校に就職して教員になりました。

――継がれたきっかけは何だったのですか?

就職して数年目に親父から「そろそろどうだ? うちの会社、悪い状態ではないし」と持ちかけられました。教員の仕事はやりがいもありましたし待遇も良くて楽しく働いていましたが、どこかに「いつかは継ぐことになる」という気持ちがあったので、それをきっかけに専門学校の教員を辞めて小倉メリヤスに入社しました。

「いつかは継ぐことになる」という気持ちは、子供の頃からなんとなく刷り込まれていたものもありますし、記憶に残っている出来事の影響もあります。一番強く印象に残っているのは、僕が中学の時に祖母が亡くなった時のことです。弔問に来た故人の友人から、僕が生まれた時に祖母が「跡継ぎが生まれた!」ととても喜んでお祝いを配って歩いたと聞かされました。

祖父が創業後、東京大空襲で全て焼けてしまいました。そこから再興するのは大変な苦労だったと思います。それを自分の代で無くしてしまってはいけないという気持ちもありました。

――少しお聞きし辛いのですが、入社された2003年当時、既に日本のアパレル業界は下り坂だったと思います。その中で継がれることに迷いや不安はなかったのですか?

当時はアパレル業界のことをあまり知りませんでしたし、創業者の祖父のことも親父のことも尊敬しており、「その人たちがやってきたことを引き継ぐ」という想いでいたので、特に不安は感じていませんでした。

何か形にしなければ帰れないと思っていた上海時代

上海時代を共に過ごされた妻の愛依(あい)さんは現在シェアファクトリー”nuuiee”の店長を務めている

――入社されてすぐに中国・上海に赴任されたと伺いましたが、どんな任務だったのですか?

これは親父の凄いところだと思いますが、親父からの指示はなく、「自分で考えろ」と言われました。当時は現地工場に生産委託していたので、最初はそこと日本との連絡の中継をやることにして、結婚したばかりの嫁さんと一緒に行って上海で事務所を始めました。

その工場で生産したものを東京で検品していましたが、品質が悪いものが多かったんです。それで自分たちで検品をしてみて、工場に「こういうところに気をつけて」とか「こういう風にして」と言いましたが、「わかった、わかった」と言うけれども少しも改善されませんでした(笑)。

一年後くらいに「自分たちは何のためにここにいるんだろう?」と思い、自分たちで縫製工場を始めた方がいいという発想になって、『上海笑子服装有限公司』を立ち上げました。その後、この工場があったから事業を続けられた面もありましたし、立ち上げておいてよかったと思っています。

――大きな成果をあげられたのですね。

「これをやれ」と言われていないからといって、手ぶらでは帰れないじゃないですか。周りに「何しに行ったんだ」と思われるわけにはいかない、何か形にしなければという気持ちは強烈にありました。そういう意味では、土産になりましたし、親父もほっとしたと思います。

人生の棚卸をして、“糸偏”業界の応援団長に

―― 3年前に社長に就任されましたが、その時、お父様から「こういう風にして欲しい」といったお話はありましたか?また、ご自分の代でこうしようと思っていたことはどんなことでしたか?

親父からは「お前に縫製工場の親父になって欲しいとは思っていない。小さな会社だが経営者になって欲しい」と言われていました。代変わりにあたって改めて「自分はどんな社長になりたいんだろう?どういう仕事をしていきたいんだろう?」と考え、自分がどういう人間なのかを見つめるために、それまでの人生の棚卸をしてみました。

僕、高校の時、応援団をやっていたんです。応援団は「甲子園で優勝!」などの明確な目的はありません。それでも厳しい練習を頑張ってやれたのは、例えば野球部が1点差で勝った時、同級生から「あの1点は大ちゃんたちの応援のおかげだよ」と感謝されたりしたからでした。専門学校の教員時代も謝恩会で生徒たちに「先生ありがとうございました」と言って泣かれました。もちろんお金目当てでなく生徒たちのために一生懸命やりましたけど、それにしても給料もらって楽しく仕事していて、こんなに感謝されていいのかなと思ったほどでした。

そういうことを振り返って、僕は人に何かを一生懸命してあげて感謝されることがモチベーションになるんだとわかりました。この会社は洋服を作る会社なのだから、洋服を作る人を応援する「糸偏業界の応援企業No.1」になろうと決めました。それで墨田区の「新ものづくり創出拠点整備補助金」に応募して、シェアファクトリー”nuuiee”を立ち上げました。

親父から会社を引き継ぐ前からOEM生産させていただいている企業さんのことも、「この人たちがお客さんにいい製品を届けるためのお手伝いをしているんだ」と思ったら、以前よりもご担当の方々との距離が縮まり関係がよくなった気がします。

――そうやって古くからのクライアントさんとの協力関係を強めながら、若い人たちが新しいブランドを立ち上げるのをバックアップしたり、個人のものづくりを応援したりしておられますが、そういう息子さんの社長ぶりをお父様はどう見ておられるのでしょう?

親父は毎日出勤しているけど、一人だけタバコを吸うので別室に隔離しています(笑)。経理は親父の担当で、弥生会計を使って毎日仕訳をしています。基本的に仕事には口を出しませんね。黙って見守ってくれています。

子供たちから「継がせてください」と言われる会社にすることが僕の仕事

―― 事業を承継されたご経験から、これから事業を継ぐ立場の方に何かアドバイスやコメントをいただけますか?

継ぐ側よりは継がせる側の方々に「あまり口出しせずに見守ってあげてください」と言いたいですね。

うちの親父は口を出しませんが、内心では心配だろうし、言いたいこともあると思います。でも黙って見守っていてくれます。悩んだ時に相談するとボソボソっと的確なアドバイスをくれます。そのおかげで成長できたし、社員を含めて周りの信頼も得て来られたと思います。そういう点では事業承継は子育てに似ていますね。僕もつい口を出して娘に反発されていますから気をつけないと(笑)。

――お子さんに継いで欲しいと思っておられるのですか?

いえ、継がせたいとは思っていません。子供たちから「継がせてください」と言われる会社に育てることが僕の仕事です。

日本の衣料の自給率は3%を切り、ニットに限れば0.7%を切っています。そういう中だからこそ、国内工場はしっかり残していかなければと思っています。そのためには若い人たちが「入りたい」と思う業界、「やりたい」と思う仕事でなければいけません。待遇面でも、環境の面でも従業員満足度をあげるために、まずは工場改革をしたいと思っています。

撮影:Taira Tairadate

写真提供:株式会社小倉メリヤス製造所

株式会社小倉メリヤス製造所
http://www.ogura-m.com/

本社所在地:東京都墨田区石原3-12-9
工場所在地:栃木県佐野市赤見町1098
従業員数:40名(グループ子会社含む)
東京ニットファッション工業組合所属

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弥報編集部
著者:弥報編集部
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